提示助詞 對象的提示
主語的「特別強調」。強調時,が與を可被替換(覆蓋)
- を為「處置」的強調 水を飲みたい。
- が為「主語」的強調 水が飲みたい。
- は為「說明」的強調 学校は今日が休みだ。
- か為「未知」的強調 誰か来たようだ。
- こそ為「事物」的強調 毎日の努力こそ成功の原因なのだ。
- さえ為「條件」的強調 子供たちが丈夫でさえあれば、親はそれで満足だ。
- きり為「少數」的強調 参加者はたった三人きりでした。
- しか為「排他性」強調,後接否定句 この店は十八歳からしか入ることはできない。
- だけ為「口語」的強調,不限肯定否定 眺めるだけなら、お金は要らない。
は 主題就是「此」,後需說明「此的特別」。(像立了作文題目,內容會與主題相關)
- 今日は日曜日です (星期天是今天,不會是昨天或明天。)
も 表不只此,還有其他「已知同類」事物。
逆態,判斷助詞+も にも、ても、とも、までも、かも、しかも、つつも、ながらも...
.いつも (不只今天、昨天、前天...)
でも → 狀態、範圍、斷定で+も,表即使如此,類推至「全部」含此範圍的未來數
- いつでも (哪天都可以。存在的所有以後)
まで 有起始的包含的範圍。①範圍到まで ②不會超過まで
- あくまで (飽く為飽きる的古典辭書型。吃到飽就是到最後的極限,貫徹。)
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副助詞 主要述語句的修飾節
添加數量、時空、好壞、情境...等特別意義
くらい、ばかり、ほど、だけ、など、まで、なり、きり、ずつ
類似体言 可接格助詞,或直接修飾述語
- 承接体言:N+副助詞+格助詞
- 承接用言:連体型+副助詞+格助詞
數量的表現
- 數量詞ばかり 表大約(5.10.15等...組數)
- 數量詞くらい 表不少於...
- 數量詞ほど 表不到...
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格助詞 主語與述語的關係表現
を 被動作的作用對象提示(與動作主存在的暗示)
- 「を語節」為述語修飾節、動詞補語
が 主語的提示。疑問詞內容不明,只能作主語。敘述知道的東西便成為說明主題は
- 私がいるよ
- これが分からない
- どなたがいらっしゃいますか
承接体言的並列助詞 と(か)、や(ら)、(だ)の、か、に、なり
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終助詞 主觀語氣的表達
取代斷定助動詞だ,擺在名詞與形容動詞後
ぞ 男性語助詞
- 自問自答式的獨白 いい考え、付いたぞ
- 提醒對方的 さあ、行くぞ
- 要求語氣 なにとぞ ←不定詞 何 + 格助詞と + ぞ
か 表疑問語氣
- 自問自答式的疑問語氣 どうしようかな
- 「成年女性」自問自答式的疑問語氣 明日は雪かしら ← か+知ら+ぬ
- 說不定 そうかもしれない ← か+も類比+知れない能力否定型
- 口語的說不定 かも、君の言う通りだ ← かもしれない的縮減
基準に的慣用判斷句
以下に~慣用語基於取代「斷定助動詞」的概念,列為終助詞。
一定是~沒有錯
- 今度優勝するのは俺に決まっている。
- 着ている服や話し方から見て、あの人は出版関係の仕事をしている人に違いない。
- 彼のいったことは事実に相違ないだろうと思うが、一応調べてみる必要がある。
- 文化とは国民の日々の暮らし方にほかならない。
不值得給予那樣的評價
- 山田さんの成功は親の援助に負うところが大きいのです。賞賛にはあたらない。
- あの人の話はいつも人の悪口ばかりで、聞くにたえない。
沒有比這更好事情
- 病気のときは寝るに越したことはない。
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日本人認知的が、か、を、に與好き的詞性
(引用自http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1133103436)灰色部分是我翻譯與添加
Q:どうして「誰かを好きになる」という表現があるのでしょうか。というか、「誰か」...
為什麼會有「誰かを好きになる」這樣的表現,應該說這個「誰か」該做何解釋
O「みかんが好き」
省略主題主語(第一或第三人稱)、「が」表好惡的對象、「好き」為形容動詞
X 「みかんを好き」 → O「みかんを好く」
格助詞「を」的情況,「好き」無法當述語,要替換成動詞「好く」
上記のとおりですが、好きになる場合には「を」もあります。
雖然是這麼說,「好き」的好惡表現,也有使用「を」格助詞的情況。
- 「みかんが好きになる」 単純にみかんが好きになる。
「が」的情況,是單純的表示「みんな」為「好き」的對象 -
「みかんを好きになる」 特にみかんを強調して、好きになる。
「を」的情況,為特別強調對象是「みんな」 -
「誰かが好きになる」 漠然としていて、おかしい。
不定詞「誰か」作主語,好惡表現「好きになる」,沒有對象很奇怪 -
「誰かを好きになる」 誰かではあるが、特定の人物であるはず。
雖然是不定詞「誰か」,但用「を」表對象合理
前後の文脈にもよりますが、日本人ならば、以下のように感じると思います。
「誰かが好きになる」以日本人的邏輯思考(還原主語與受詞)來看,我想會這樣認為:
- 「誰かが(私を)好きになる」
不定詞「誰か」做主語,省略的受詞就成為第一人稱,翻譯為:好像有某個人開始喜歡我。 - 「(私は)誰かを好きになる」
「を」表對象,省略的主語就是成為第一人稱,翻譯為:我好像喜歡上某個人。
誰かが漠然としているか、特定の人物かの違いですね
差異在於「誰か」,是未知的對象還是不明說的對象。
1つの説だと、「好き」は「好く」という動詞(今はほとんど使いません。昔の日本語です)から派生した言葉(連用形?)で、単純に「形容動詞」とは言い切れないものだと聞きました。形容詞と動詞の両方の特徴をもっているのだと思います。
有一種說法是,因為好き其實是從動詞「好く」衍生出來的語彙,所以不能說是完全的形容動詞,它持有形容詞與動詞兩種詞性的特徵。